end of the 1980s
1980年代の終わりに、ハイコ・ミューラーとマーカス・リーズは、ドイツの名門ダルムシュタット工科大学で出会います。
お互い、熱狂的な自転車好きで、またある意味天才的なアマチュア発明者でもあった
彼らは、自転車を改造しては趣味として楽しんでいました。
1992
1992年のある日、マーカスは「どこにでも持って行けて、どんな場所でもすぐに乗れ
る自転車」を作りたいとの思いから、前後サスペンション付のフォールディングバイ
クで、そのサスペンションピボット(軸)は折畳みのピボットを兼用するという全く
新しい画期的な折畳み機構のアイデアを思いつき、このアイデアをベースに、厚紙で
作った模型をハイコに見せます。
この模型をもとに、2人で作り上げた寄せ集めの部品で構成されたこのプロトタイプ
こそが、のちに「birdy」と呼ばれる商品の原型となります。
1994
1994年には、さらに改良したプロトタイプを完成させ、「r&m」として同年9月のIFMA
ショー(ケルン)に展示します。ただ、当時の「r&m」社の主要取扱商品はヘルメッ
トでした。
このIFMAショーで、Pacific Cycles社創業者ジョージ・リンの目に留まります。
二人の作ったプロトタイプのコンセプトが気に入ったジョージ・リンは、「このプロ
トタイプを商品化したいのなら、台湾にあるうちの会社に来なさい。私がそれを商品
化してあげよう。」と二人に声を掛けます。
birdyの量産化の道が開けた瞬間でした。
1994年11月には、ジョージ・リンからの誘いを受け、マーカスとハイコが交互に
Pacificを訪れ、約半年間ジョージ・リンの自宅に滞在しながら、birdy量産化へ向け
た開発を共にすすめ、ついに1995年5月、birdy初の量産品を載せたコンテナが、
Pacific Cycles社からドイツへ向け出荷され、同年ドイツでの販売が開始されます。
1997
1997年には、日本市場でも「BD-1」の名称(商標の都合でbirdyが使用できなかった
為付けられた、日本専用の名称でした。)で、発売が開始され、スポーツフォール
ディングバイクの代名詞として人気をはくしていきます。
2005
2005年、その後も細かな改良を施されながら、マイナーチェンジを繰り返してきた初
代birdyの発売から10年目となるこの年、第二世代のbirdy モノコックが発売となり
ます。
2007
2007年、birdyモノコックの登場から2年目のこの年、初代birdyが惜しまれつつ生産
終了となります。
2013
2013年10月、2007年に生産終了となっていた初代ストレートフレームのbirdyが、最
新のジオメトリーと数多くのディテールアップをまとい「classic」として復活。
2015
2015年1月、birdyの日本販売代理店が、Pacific Cycles Japanへと移行され、同時に
商標の問題もクリアーとなり、世界統一ブランドである「birdy」としての販売が開
始となります。
2015年7月、初代birdyの発売から20年目となるこの年に、全てを一新し「DNAチェン
ジ」をうたう第三世代のニューbirdyモノコックが発売となります。
100個所にも及ぶ改良を施され、MTBのDNAからロードレーサーのDNAへと基本設計思想
を変更されたニューbirdyモノコックは、従来モデルとは比較にならない圧倒的な走
行安定性と、更なる折畳みサイズの小型化の両立を実現しています。